足挫いた

昼休みに六本木のおしゃれ100円ショップをみていて、
店を出たところで段差に気づかずすっころんだ。
足がぐきっとなった。
たまたま歩いていた女性にぶつかりそうになって
あわててかわし謝ったが、すごくいやそうな顔をされた。
心が傷ついた。


しかしそれどころではなく、足が痛いのでうめきながら
道端にしゃがみこみ、痛みが過ぎ去るのを暫し待った。


たまたま新書を持っていたので
その間少し読んだが、当然集中できなかった。
「スミスは長老派(プレビステリアン)が支配的なスコットランド人で、
禁欲を説くピューリタンとは違いますが、
当時のキリスト教に基づいた社会的倫理観を強調していました。」
というところを繰り返し読んだ。
スミスが長老派なことは一生忘れないだろうと思った。
(でもすぐ忘れるかもしれない)


それから痛みがやや弱まったので、
オフィスに戻ろうとした。
普段なら大して遠くない距離だが、かなり遠く感じた。


経験的に医者に行くほどのダメージではないと解ったが、
体が強い痛みを感じるのは久しぶりなので結構ショックだった。
会社に戻るまでいろいろなことを考えた。


最近総務的な仕事をしていて、
労働関係の法令などを調べている。
労働基準法などの労働法は、
社会法といわれる分野の法律である。


憲法とか民法とか刑法とかそういうのは市民法と呼ばれるもので、
市民革命のあと、民衆に力を与えるために作られた法体系だ。
いわば、攻めの法である。


これに対し、社会法は民衆の生活を守るために作られた法である。
労働法を例に挙げよう。
民法の下では対等な者同士が契約を結び合う。
しかし、労働者と使用者の契約の場合、
両者の力関係を考えると労働者の立場の方が弱い。
そのため、労働法の下では雇用契約民法の例外となり、
労働者に有利な内容にしなければならない。
社会保障といわれるものの誕生である。


社会保障は労働法だけではなく、
社会保険・労働保険などの保険もなどもその一部だが、
労働法と比べると成立が遅い。
労働基準法の成立は1947年だが、
例えば健康保険についていうと
国民皆保険の原則が成立するのは1961年である。


だが、こうした互助的な制度というのは
基本的にうまくいかないものである。
「保険」というのは基本的に予期せぬ「事故」に
であった人に対してフォローするものである。
うっかり足を挫くのも「事故」だし、
会社が倒産して失業するのも「事故」。
年をとって働けなくなるのも「事故」である。
それぞれ「医療保険」、「雇用保険」、「年金保険」
がカバーすることになっている。
だが、「事故」にあわない多数が
「事故」にあった少数を支える、という構図は
当然世界を二分するので、議論を招来しやすい。
年金を見れば解るとおり、万人の納得する制度は作りえないわけである。


ところで私は基本的にアナーキーな人なので、
当然国家的な社会保障などファックオフである。
しかしそれはあくまで思想上の問題で、
足を挫くとやはり痛い。
早く死にたいなーと日々思うが、
足が痛くて死ぬのはいやだなー。
自己責任論理だけでは世の中渡っていけないのかも。
思想が現実に敗れました。悲しい。


などと思った。
理屈っぽいなーと思うかもしれないが、
ええ、理屈っぽいんですよ。
捻挫ひとつにしてもね。


というわけで今日は一日びっこだった。
ていうか今でも痛いし、むしろより痛くなっている気がする。
やばい。


ところで「捻挫」という字は
ほんと「ねじってくじいた」っていう感じが出てますよね。