池田先生

車谷長吉の新刊『世界一周恐怖航海記』を読んでいたら、
我らが池田浩士先生の話が載っていたので紹介する。


車谷氏が慶応三田の独文科にいたとき、
池田先生は大学院博士課程がおり、親交があったそうだ。
その後、池田先生は京都大学教養学部助教授として赴任するが、
数年後妻子を捨てて上京し、
東京渋谷の大衆食堂のお運びをしていたらしい。
あわてた同僚たちが手を尽くして探し出し、
再び大学に連れ帰ったという。


妻子助教授の座を捨てて渋谷で下働き。
やりますねー。

池田先生の名言

私の在学中、先生は京都大学の文化的ヒーローでした。
池田先生は有名な左翼で、
「私の左には誰もいない」という名言も残っている。
学園祭では学生企画で右翼の佐伯啓思先生と無理やり対談させられていた。
(話にならなかったという)


先生は京都大学総合人間学部というところの教授だったが、
総合人間学部(総人)は他の大学で言うと教養学部にあたる学部で、
京大の中でも最も偏差値が高く入学が難しい学部だった。
しかし、大学で四年間すごすした後、就職戦線では評価が低くなってしまう。
優秀な学生を集め、4年間でダメにして排出するという素敵な学部だった。


そんな総合人間学部の学生が将来に不安を持ち、
先生にこう聞いたという。
「先生、総人の人たちは将来どうなってしまうんでしょうね」
先生はこう答えたそうです。
「きっと、優しい人になるでしょうね。
他の学部の人みたいにエリートになれないから」


これはねー。いい言葉ですよ。