きくこと

 で、会議の後その理学部院生と中国留学生の女性と三人でご飯に行った。議論が終わったら仲良しなのだ。
 この間西安であったアホな日本人留学生を中国の学生が殴った事件について話をしていたが、やっと事件の背景が理解できた。
 あの事件では日本人がシャツの上にブラジャーをつけて、背中に「日中友好」だか「中日友好」だかを書いて踊ったらしい。で、中国人が怒って後から殴りにいったんだけど、この事件で僕がわからなかったのは、何で中国人が怒ったのかということ。明らかにジョークじゃん?
 で、留学生の人に聞いて解ったのは、性意識の差が思ったより大きかったこと。具体的には、中国の人は「ブラジャー」って口に出すのも恥ずかしいらしい。レベル的には日本での女性器の俗名(柔らかな表現)くらいの卑猥さを感じてるようだ。実際にその女性はブラジャーって言えなかったもん。
 そりゃだめだ。公衆の前にさらすのはもってのほかだ。この事件で僕が日本人留学生がダメだと思うのは、事前にチェックしなかったこと。親しい中国人の友人に、「こういうアイデアなんだけど」ってちょっと話したら、すぐ駄目出しされたはずなんだよ。それをしてなかったのがアホだと思う。
 異文化交流に限らず、コミュニケーションの基本は「相手に聞くこと」だ。「僕はよく解らないんですけど、これはどうですか?」って何人かに尋ねれば、多くの問題は回避できる。やっかいなのは聞くこと自体が失礼に当たるという場合。この問題は原理的に解決しようがないけど、実は多くの民族・文化に、「よそ者にはとりあえずは優しくしておこう」という心的な共通理解がある。よそ者であることをアピールしておけば、多少のことには目をつぶってくれるはずだ。もちろんよそ者だまして食ってる奴もいるから絶対とはいえないけど。
 だから、相手が本当に重要だと思ってることは事前に学習しておいて、そのことには触れない。馬鹿にしたり絶対しない。橋本治が前に言っていたらことだが、人にはそれぞれ本当に大事なことがある、それを尊重することは絶対に重要だ、でも日本人には最近(昔から?)それが解っていない。
 
 イスラム圏でコーランを粗末にしないとか、タイで子供の頭に触らないとか、中国でブラジャーをむき出しにしないとか、日本人から見たらどうでもいい事柄だろう。でも、もしかしたらそれは日本人の文脈で読み替えると、「人を殺さない」くらいに重要なことかもしれない。相手の一番大事なものを自分の一番重要なものに置き換えて考えてみる。それがきっと想像力というものだ。