スーパーサイズ・ミー 続き

監督自らの出演、統計的な数値やアニメをふんだんに使った表現など、
マイケル・ムーアのやり方を意識しているのだろう。
製作費は65000ドルということで、
一発当てるのにドキュメンタリー映画というのはありかもしれない。


少し意外だったのは撮影の時期は2003年の2月、完成は7月の中旬、
サンダンス映画祭で最優秀監督賞をとったのが2004年の1月。
日本での公開は2004年12月25日ということで、結構「昔」の映画なんですね。
情報先進国とかいってても製作の現場から実際に消費者に届くまで
このくらいの時間差はかかるってことか。


内容は要するに
「1ヶ月間3食マックのハンバーガーを食べ続けたらどうなるのか」
という実験を監督のモーガン・スパーロックが行うというもの。
タイトルになった「スーパーサイズ」は相当でかい。
モーガンは身長188cm、体重88kgのでかい外人だが、
初回では食いきれずに吐いてしまっていた。
ジュースは子供が砂場で使うバケツくらいある。


「マックは世界中で一日4600万人が利用している。これはスペインの総人口より多い」
アメリカで一番食べられている野菜はフライドポテト」
「全米では毎年40万人が肥満のために死亡している」
「97年、WHOは肥満を世界的な疫病と断定」
などトリビア的な情報がたくさん詰めこめられているので
「人生是トリビア」な僕としては非常にうれしい。
僕が以前から気になっていたトリビア
「フランス人も関西人と同じようにマクドナルドを『マクド』と略す」
も確認できた。フランス系の女性が「マクド」っていってました。


おかしな人間が出てくるのも魅力。
食事の90%をビッグマックでまかない、累計で19000個以上食ってる
といういい感じの親父が出てくる。
一体どっから連れてきたのかと。
一日8リットルのソーダを飲み続けたおっさんもやばい。
結果劇太りして糖尿病になって失明しかかり、ついに胃を縮小する手術を受ける。
自制心なさ過ぎるだろ。


マクドナルド理論」*1とか「ビッグマック指数」が示すように、
マクドナルドは「グローバル化するアメリカンスタンダード」の象徴である。
そして、アメリカンスタンダードというのは結局「競争の徹底的な肯定」なのだろう。
しかし、「自由を推進するはずだった競争が、不自由を拡大する」という
近代社会の根底に潜む構造的逆説が社会を二極化させていく。
私淑する内田樹先生のブログによると、
http://blog.tatsuru.com/archives/000477.php
アメリカでは体型と社会階層に相関が現れ始めているという。
この点はこの映画では触れられていなかったが(あまりにもやばいからだろう)、
暗示的には表明されていた。
「マック好き」を主張する奴は明らかに馬鹿そうで、貧しそうなのだ。
頭の悪そうな黒人の二人組みとか。
先に触れた19000個親父だって見るからにプアホワイトだ。
彼は初めて車を買った日に嬉しくて嬉しくてビッグマックを一日九個馬鹿食いした。
こういう形でしか喜びを表現できない階層が、
要するにマックを食っている/マックに食われているのだ。


というわけでいろいろ考えさせられる映画であるが、
惜しいことにはあんまり「動き」がないのね。その辺が弱い感じ。
取材とかはいろいろしてるけど、なにしろ基本的にはハンバーガー食ってるだけだから。
マックにも取材を申し込むのだが結局断られてしまう。
ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン」では
ムーアと事件の被害者の少年が企業に「コンビニで銃弾を売らないでくれ」と頼みにいき、
見事認めさせるというラストシーンがあり、そこが「映画」としての完成度を高めている。
スーパーサイズ・ミー」はその点ちょっとパッシブな印象を受けた。
若干アイディア勝負!という感じですかね。


まあとはいえ、「こういうの」が好きな人は見て損は無いでしょう。

*1:マクドナルドを有する任意の二カ国は、それぞれにマクドナルドができて以来互いに戦争をしたことがない」という理論。ニューヨーク・タイムズ紙のコラムニスト、トーマス・フリードマンが著書『The Lexus and the Olive Tree』で提唱。NATOコソボ空爆で妥当性が崩れた。