最近の読書

大塚英志とか福田和也とかそんなんばっかり読んでいる。
デブでめがねという共通点がある。(私もだが)


大塚英志『「おたく」の精神史―1980年代論』
おたくの人をみると羨ましい。
何らかのテーマを彼らほど深く掘り下げた経験がないから。
そのへんが90年代っ子だった私の問題点な気はしている。
もっともそれは90年代の問題点ではなく
単に私の問題なのかもしれない。


この本は連載をまとめたものらしく、
全体としてテーマごとの小論集のような体裁である。
岡崎京子について論じた章はなんだか泣かせる感じだ。
「好きな子に嫌われるときの切なさ」のようなものを
ところどころから感じる。


岡崎京子大塚英志が編集していた『漫画ブリッコ』という
ひどいタイトルのロリコン雑誌からデビューしたのだが、
それは岡崎京子のような漫画を載せるところがほかになかった、
という事情によるものだったという。


ついでに当時の少女漫画事情を記すと、
24年組的な内面を描く漫画は、紡木たくあたりでいったん断絶し、
セーラームーンに代表されるような
男女の軽妙な「やり取り」を描くものが
主流になりつつあったそうだ。
そういうなかで、24年組的な内面を描く岡崎らの漫画は
従来の少女漫画雑誌の枠組みの中に居場所がなかったのだ、という。
関係ないが、最近「NANA」が流行っていて、
私も読んでみたのだが、いまいちのりきれない。
というのの理由は「NANA」がどちらかというと
セーラームーン」的な文脈の中に
ある漫画だからではないだろうか、と今思った。


まあそういった関係があるのだが、
やはり岡崎自身はそういう自分のデビューのころを
よい思い出とは思っていなかったらしい。ロリコン雑誌は嫌いだから。


これに対して、大塚はこの本の中で、
「まあ私は大抵の人にとっていい思い出ではないんだろうけど」
みたいなことをいったり、
「岡崎の現在の状況は知らないし、
それを知ろうと思うことがどどれほど不遜かとも思う」
というようなことをいったりしてナイーブな感じなのだ。


両者の間にある機微については知る由もないんだが、
一人のもてない男子として大塚のこういう諦観には感じ入ってしまう。
別に恋愛感情というのは抜きにしても、
才能のある女性に相手にされないとか嫌われるとかいうのは悲しいことだよね。
デブでめがねだとそういうことは結構頻繁にあるので
そういう出来事(の繰り返し)に対して、
あるスタイルを持ってたえていかないといけない。


大塚のそういうスタイルをちょっと垣間見てしまって、切なかった。